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年齢を感じさせない輝く素肌の秘密
~BROCADE開発者・小舛能子のビューティライフ~

高保湿クリームBROCADEの開発者で株式会社BROCADE代表取締役社長の小舛能子さん。ミセス日本グランプリにも輝いた小舛さんは、50代とは思えないハリのある美肌と抜群のスタイルの持ち主。妻として、母として、さらに企業経営者として多忙な日々を送る小舛さんはどのような美容法を実践しているのでしょうか。そしてBROCADE開発にかけた想いとは…?

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35歳で知った「乾燥」の怖さ

私は山口県岩国市で生まれ育ちました。岩国は清流・錦川にかかる五連の橋・錦帯橋が有名な、古い城下町。米軍基地があることもあって、どこかハイカラな雰囲気のある町で、周囲には美意識の高い女性が多かったですね。私の母もとてもおしゃれな人で、亡くなるまでずっとお肌のお手入れと毎日のストレッチは欠かさない人でした。

そんな母に育てられましたので、私も自然と美容に関心をもつようになったのです。とはいえ、若いころは特に肌トラブルはなく、唯一の悩みは日焼けしやすい肌質であることくらいでした。特に夏はあっという間に日焼けしてしまうので、10代のころから現在にいたるまで日焼け対策を怠ったことはありません。そのおかげか、50歳を過ぎた今もシミは全くありません。

ただ、そんな私も35歳にして大きな肌トラブルに直面しました。そう、お肌の乾燥です。それまで使っていた大手メーカーの化粧水や美容液、クリームが急に肌に合わなくなり、いくら塗っても乾燥が治まりません。そこから私の長い化粧品探しの旅が始まりました。いろいろな化粧品を試し、試行錯誤を続ける日々…、でも100%満足できる化粧品とはついに出会えないまま、40歳代を過ごしてしまったのです。

ふるさと・岩国の水への回帰

それでもあきらめずに、なるべく低刺激で肌によい化粧品を選んで丁寧にお手入れを続けたので、周囲の人たちからは「若々しい肌ね」と褒めていただけることも多かったのですが、内心ではいつも乾燥肌を気にする毎日。しかも40歳代後半になると、どんな化粧品を使っても効果が出にくくなり、恐れていた小じわの兆候が表れてきたのです。人とお話しているときも、その小じわが気になって、いつものような笑顔で接することができなくなり、女性としての自信をすっかり失ってしまいました。

そんなとき、思い出したのは亡き母の美肌です。生涯岩国で暮らした母は「錦川の水はおいしいし美容にも本当にいいのよ」が口癖。実際、彼女は晩年までずっとハリのある、実にみずみずしい美肌をしていました。そういえば私のお肌も岩国に住んでいた時代は、トラブル知らずだったはず…。もう1度錦川のお水でお手入れすれば、肌が改善するのではないだろうか…?と思いました。

でも結婚して関東に住んでいる私には毎日錦川のお水でお手入れをすることはできない…。考えた末にひらめいたのが「そうだ!錦川のお水で化粧品を作ればいいんだ!」というアイディア。思いついたらすぐに行動するのが私の長所。すぐに岩国に帰って化粧品づくりを始めました。

化粧品メーカーに「水道水を入れない化粧品ははじめて」と驚かれたBROCADE

まず探したのは、錦川水系の中でも特に上質な水の出る場所です。いろいろと調べた結果、錦川の支流・宇佐川の上流で、とても質の良い地下水が採れることがわかりました。取り寄せてみると、肌触りもよくミネラルのバランスも良い奇跡のようなお水。「このお水なら大丈夫、まちがいない」と確信を得た私は、すぐに化粧品メーカーと交渉してオリジナル保湿クリームの開発を始めました。

開発にあたって私が絶対に譲りたくなかったのは、この奇跡のように素晴らしい錦川のお水を最大限に入れること。しかし私のこのこだわりは、化粧品メーカーの方々にとっては、すごく驚くべきことだったようです。というのも、「天然水を配合」とうたっている化粧品でも、天然水はほんの数滴しか入れずに、残りは水道水をいれているケースがほとんどなのだとか。

天然水を入れれば入れるほどコストがかさみますから、皆さん、敬遠して安い水道水をいれてしまうんですね。でも私はそんなことは絶対にしたくありません。化粧品工場の方に「水道水を1滴も使わずに化粧品を作ったのは、小舛さんが初めてです」と半ばあきれられながらも、信念を貫き、ついに錦川のお水をたっぷり配合した素晴らしいクリームを完成させたのです。そのクリームこそ、BROCADE(英語で錦の意)。名前の由来はもちろん、錦川です。

「きれいになれる魔法はない」~継続は力なり

完成したBROCADEは、思った通り、いえ、思った以上に素晴らしいクリームでした。まるで大地を潤す雨水のように、すっと乾いた肌の深くに浸透。やっと小じわを気にせずに、思いっきり笑顔で過ごせる日々を手に入れたのです!同じく乾燥肌に悩む友人たちに紹介すると、みな、口々に「夜に塗って寝れば朝まで肌が潤っている!」など、喜びの声が続々と入ってきました。

私の作ったクリームで皆さんにこんなに喜んでもらえるとは、なんて素晴らしいことでしょう!お肌の悩みから解放された皆さんの笑顔は本当に美しく輝いています。こんな笑顔の人をもっと増やしたい…、そう願って、私は株式会社BROCADEを設立、BROCADEの全国販売をスタートさせたのです。

もちろん30年も主婦をしていた私ですから、経営者としてはずぶの素人。でも、私の力不足を補ってあまりあるほど、BROCADEの評判は上々。現在では口コミで人気が広がり、芸能人やモデルさんなど美のプロフェッショナルの皆さんにもご愛用いただけるようになりました。

でも、皆さんにご理解いただきたいのは、BROCADEさえ使えばきれいになれるわけではない、ということ。もちろんBROCADEの保湿効果には自信を持っていますが、それだけでは「本物の美」は手に入れられません。規則正しい生活、野菜中心で腹八分の食生活、適度な運動など、日々の努力があってこそ、化粧品の効果は発揮されます。まさに「美は一日にしてならず」。BROCADEは努力の成果を最大限に引き出す、皆様の「美のパートナー」なのです。

美しい女性が増えれば日本はもっと元気に!

私自身、どんなに疲れている日でも、BROCADEでのお手入れはもちろん、ストレッチと野菜中心の食事は欠かしません。その積み重ねが、今の私を作ってくれたのだと自負しております。おかげさまで50代になった今も「わかわかしいですね!」と褒められたり、「とても50代には見えない」と驚かれたりすることが多いですね。

もちろんそれはとても嬉しいのですが、私が目指しているのは年齢より若く見られることではなく、美しく年を重ねていくこと。例えば50代の女性には20代の女性にはない、大人の女性ならではの美しさがあります。年齢に応じた美をこれからも追及していきたいですね。

株式会社BROCADEを創業してからは、経営者としてビジネスの現場で人前に出る機会も増え、とても充実した生活を送っています。お肌の状態も体型も、努力して自分自身が納得できる状態をキープできているから、自信を持って様々なことにチャレンジできるのです。私は皆さんにも、BROCADEを使って、美しくなるばかりでなく、ご自分に自信をもっていただきたいのです。

そしていろんなことにチャレンジしてほしいと思います。女性がいきいきと活躍することによって、日本という国自体が、もっともっと元気に発展していくはずです。子どもたちに明るい未来を残すためにも、女性の皆さん、ぜひ一緒にがんばりましょう!(談)

小舛 能子 / 株式会社BROCADE代表取締役社長

1960年山口県岩国市生まれ。短大卒業直後に結婚し、以来約30年間専業主婦として子育てに専念。子どもの大学入学を機に雑誌の読者モデルとしての活動を開始、2011年にはミセス日本大会(50代の部)でグランプリを受賞。

2012年、自身の乾燥肌を改善するため、高保湿クリーム「BROCADE」を開発するとともに株式会社BROCADEを設立。美のプロフェッショナルとして全国で活躍中。岩国市観光大使も務める。